....................... ............................

日々是好日

            
  日は常に東に出て西に没し、雨の日も風の日もあっても不思議

ではない。今日は好日、悪日とかいうのは、甚だ自分勝手な考え

方にすぎない。世上往々にして日の吉凶をいう。これこそ不合理

極まりない。
再起不能の病を宣告された、ある人が、眠れぬ夜を何日かむか えるうちに、ある時から、朝目覚めて、生きている自分を見いだ すごとに思うようになったそうです。
今夜は、どうなるか分からないが、今は生きている。今日この 日が自分の最期かも知れぬ。そう思うと今日が大事だ。死んだ後 で、彼はいいやつだった、そう言われるような今日にしたい。 今日一日だけの命かもしれないのだから.....」明日の命が わからない
彼にとって、毎日が取って置きの好い日で、充実した日々だっ たそうです。
今日は今日、昨日でも明日でもない、日々是好日こんな生き方 をしてみたいものです。
七禽八縦

 「しちきんはちじゅう」七回捕らえて八回放つことを言うそうです 子供の頃家

で猫を飼っていました。田舎の家屋ですから縦横無尽に鼠が走り回っていました

ので,鼠退治兼ねていました。僕らは何時鼠を捕ってくるか,期待していました

が近くに鼠が走り回っていても、その猫は”我関せず”を決め込んでなかなか動

こう とはしません。

 半ば鼠捕りの才能はこの猫にはないのだろうのと諦めていましたが、ある日得

意そうに鼠をくわえて,僕たちの前に現れました。

  その後庭の方へ行って,鼠を放しては、又逃げる鼠を又くわえたりして何回も

繰り返し、もてあそんでいるだけで鼠もだんだん弱くなっていき逃げる元気もな

くなって、猫は諦め座り込んでいますが、鼠は隙をみて必死で逃げようとします

が、普段とは違う鷹の目のような獰猛な形相となって,捕らえます。

 それからどうなったかは覚えていませんが、まさしくこれこそ,七禽八縦でな

いかと思います。これ以来,私の 家では猫は飼っていません。 
鈍鳥逆風
子供の頃、メンコ、ビ−玉、野山を駆け回ったりいろいろな遊びにるまで家に帰

らなかったことを覚えていますが、妙に今でも印象に残っていることがあります。
いつものとおり遊びに興じていましたが,日暮れ近くに西風が急に強くなって、 砂埃で目もあけておれないような,そんな状態でしたので,みんなも,諦めて家 へ帰ろうとした時誰かが空を見上げて言いました。おーい 見ろよ!あの鳥、後 戻りしてるぞ! 見上げると,鳥が風に逆らって必死に羽ばたいている,横に後 ろに風に流されても、方向を変えようとしない、ひたすら風に向かって飛ぼうと している。しばらく、みんなで様子を見ていました。
「風が弱くなってから飛べばいいのに」と誰かが言った 「労多くして効少なし」人生でもこれに似たことは,ありますね!馬鹿正直に一 念を通そうとして,無理をしている人を見るとハラハラすることもあります。
「でも少しづつ前に進んでいるよ!」と誰かが言った遠回りだと自分で感じつつ わざわざ難関に向かって努力することも人生ですね。  その鳥は,風の弱い層へ横に流されたか、すーと飛んで行ってしまいました。
.傍若無人    周りに人無きが如きの振舞をする事
           
  最近の新聞記事をみる度に、ある本(禅宗の偉い坊さんの著作だと思ったが)の

傍若無人の言葉の解説が思い出されてしかたがない。
 電車の吊革に、飛びついて渡りあるき遊んでいる男の子が二人足をばたつかせ 土靴が目の前を行ったり来たり、座っている乗客はたまったものでない。
「やめろ! いい加減にしろ!」と怒鳴りつけた。
 叱られたことがない子供たちのびっくり顔以上の、傍らで談笑していた親たち の、迷惑そうな、けげんな表情。子供たちを、一言もたしなめる言葉がなく、怒 鳴った方も、謝られて「いやいや、どうも」ぐらいの返事はしようと思っていた が、一言もないので、周囲に具合が悪い。
 この親たちのように、のびのび育てることは,わがまま,勝手に仕立てること と勘違いしている輩が多すぎる。こういう子供たちが、成人していくのであるか らたまったものでない。まさに現代の病弊の根本がここにある。
昔からの豪傑は、傍若無人であったが、筋目もあれば折目もあり、礼儀作法(仁、 儀、礼、智、信)があった。
今の傍若無人連は人道も人情もない,ひどいのになると至極利口ぶって刃物、 鉄砲をもって当りかまわず人殺しをする。  こうなったら電車の吊革遊びどころじゃない、命に関わる。
舌頭無骨 「ぜっとうほねなし」

  口中の軟体動物ともいえる舌ほどの働きものは、ちょっと珍しい。

私達の労働も時短が叫ばれ、週休2日制に移行し、一昔前の労働神聖勤勉超衆の

精神論を持った人たちとって考えられないご時世だそうです、かくなる時世にあ

って唯一人敢然としてその精神を不屈不撓守り続けているのがこの舌なのである。

食物を体内に入れる門戸にあって一々味わいを確かめ硬度を検討する、歯がどの

くらいの咀嚼をすれば、食物を適度に粉砕できるかを測定できる役目を持ちなが

ら、先端では甘味、中央では酸味、奥では塩味を計り、食物の好き嫌いを感じ、

喉に送り込む、此を三度の食事、間食一切と飲み物に働かすのだから偉いもので

ある。しかもそうした仕事の切れ間、その食事中でさえ旺盛に、巧みな舌の回転

で喋りまくるのだから素晴らしい、これが間断なく活動し続ける、想到の働き者

でも、のびて仕舞うところだが、この舌だけは絶対へたばらない。人は老いるほ

ど、食べ物に意地汚くなり、喋ることに達者になる。歯が弱くなり、耳が遠くな

り、目が弱っても、舌だけは達者なのだからすさまじい。真に老化していく人間

の各器官の中で、舌だけは歳をとらない。
舌は、軟体動物のように骨格が無いのが幸いして、自由自在の動きが出来る、口 中所狭しと動き回る、その千変万化の動きが言葉となって口外へ発せられる、そ の言説の持つ意味によって、外界に様々な影響を及ぼす、どこかの国の政治家み たいに命取りになりかねない。またその言葉によって起こされた喜怒哀楽は次か ら次へと連鎖反応となって、とどまることを知らない。その及ぼすところの行末 の遙かなことを想到すると。いい加減なことを口走ることが出来なくなる。
舌が自由であるだけに、自ら語る言葉には深く省みるところがなくてはいけなく なる。